副院長の前田暁子です。
昨年から、パタパタとわが家の高齢猫が亡くなりました。
うまそう 20歳(2023年5月逝去)
プースケ 推定19歳(2024年5月逝去)
しょこたん 18歳(2024年9月逝去)
それぞれ天寿と言って良い年齢かもしれません。
看板猫のプースケ
プースケはみなさまにもかわいがられて感謝していたのでしょう。
体調がだんだん悪くなっていく中、歩き回れるギリギリの時まで、むしろギリギリ歩けるからこそだったのかもしれません。
いつの間にかふらっと待合室に行っては、ごあいさつをして回っていました。
歩く事が難しい状況になってからは、スタッフの手厚い介護のもと慢性腎不全にも関わらず、最期の日まで、少しずつですが好きな缶詰めやちゅーるを食べていました。
最期は私が看取りました。
プースケをかわいがってくださいましたみなさま、本当にありがとうございました。
私自身の心の整理に時間がかかり、ご報告が遅れましたことをお詫びいたします。
獣医ですから、何度も動物の「死」には直面しています。
仕方ないことだとも理解しています。
最期を看取ってあげられて良かったとも思っています。
それでも、何がどうあっても、
お別れは哀しいし、寂しいです。
暴力的なまでの哀しみや喪失感、無力感、認めたくない気持ちでグチャグチャになります。
その一方で、介護や心配や不安から解放されてホッとしている自分を嫌悪したり。
獣医として、色々な動物と飼い主さまの絆の形を見てきました。
思い出深いエピソードは様々ありますが、やはり一番印象に残っている喪失体験として、最初に飼った猫との別れを書かねばなりません。
最初に飼った猫との別れ
一番最初に猫を飼ったのは、獣医学生のころでした。
タレゾウという黒猫で、子猫の時にケガをしている状態で保護しました。
不細工なのでもらい手がつかず、そのまま育てました。
このコは16歳で盲腸由来の腺癌で亡くなりました。
実はその2ヶ月ほど前に、プーという犬を同じく16歳で悪性黒色腫で亡くしたばかりでした。
同じ頃から飼い始めた、仲良しの2頭でした。
まるで後を追うようだと思っていたことを覚えています。
仕事も子育ても、気が狂いそうに忙しい時期でした。
忙しいという言い訳と、「ウチのコに限って」という安全バイアスで発見が遅れて手遅れになったんじゃないかと、10年以上たった今でも悔やんでいます。
当時、まだ幼かったわが子は、
「タレゾウどうしてる?お空の上?」
「会いたいね」
「寂しいね」
と繰り返し私に問いかけてきます。
幼いながらに、小さい家族の死を受け入れようとしているようでした。
私は何度も何度も、会いたいけどもう会えないことを伝え、
「きっと空の上から見てるよ」「もしかしたらあちこちフワフワ遊んでるかも」「プーとタレゾウ仲良しだったから大丈夫だよ」と慰めつつ伝えていました。
同時に「あぁ、私は置いて行かれたんだ」と心の底に冷たい風が吹き込む様な寂しさを感じてもいました。
受け入れることができていなかった
タレゾウの死から、1ヶ月ほど後のことです。
夜中にタレゾウが玄関のドアをカリカリして、「帰って来たから入れて!」と鳴きました。
私は、何も違和感なく「あれ?お帰り」とドアを開けようとしました。
はっと夜中に目が醒めて、そのまま号泣しました。
家族がうろたえる中、延々と泣き尽くしました。
もしかしたら、タレゾウが「泣いても良いんじゃない?」と言うために帰ってきてくれたのかもしれません。
たぶん私はこの時まで、タレゾウの「死」を心のどこかで受け入れていなかったんでしょう。
タレゾウを救えなかったという怒りは自分自身へと向かい、罰のように感情を抑えていました。
自分に言い聞かせるつもりで、わが子に慰めの言葉をかけ続けていたのです。
家の中で飼っていたタレゾウが、玄関から帰ってくるなんてあり得ないことなのです。
「もう旅立ちを認めてよ」
「心の中に思い出として受け入れてよ」
タレゾウがそう言っていたのかもしれません。
もう十年以上も前のことですが、これを書いている今も涙が止まりません。
哀しみからの回復
心理学的には、哀しみからの回復には5つのプロセスがあると言われています。
「否認→怒り→取り引き→抑うつ→受容」
この5つのプロセスを繰り返しながら回復していくとあります。
ある著書には、
「受容とは思い出としてまた人生に登場させられること」と書かれていました。
愛しき小さな
大切な大切な家族は
亡くなっても
愛しき小さな
大切な大切な家族として
心の暖かい場所にいるので
生きている私たちは
小さな大切な家族に
暖かくて優しい
楽しくて落ち着く
そんな心の居場所を作るために
私自身が
暖かくて優しい
楽しくて落ち着く
気持ちになる人生を
望まれている
きっとたくさんの人の心の中に、小さな温かい思い出があることでしょう。
まだ深く冷たい哀しみに沈んでいる方は、思い出してください。
あなたが愛したように、きっと小さな家族もあなたを愛していますよ。
今すぐは無理でも
自分の為には無理でも
心の中の「愛しき小さい家族」の為に
少しずつ
温かい優しい場所を心の中に作ってみませんか?